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桐島聡 逮捕

桐島聡

桐島聡?

 

桐島聡 連続企業爆破事件における主要な容疑者

1970年代、日本は多くの政治的動乱を経験しましたが、その中でも特に注目されるのが東アジア反日武装戦線の活動です。この極左過激派組織のメンバーであった桐島聡氏は、連続企業爆破事件における主要な容疑者として長年指名手配されていました。桐島氏は1954年1月9日生まれで、広島県立尾道北高等学校を卒業後、1972年に明治学院大学法学部に進学しました。

桐島聡の逃亡と捜査

大学在籍中、桐島氏は黒川芳正や宇賀神寿一と出会い、「さそり」班の一員として東アジア反日武装戦線に加わります。彼らは連続企業爆破事件をはじめとする数々のテロ行為に関与しました。桐島氏の身長は約160cmで、強度の近視、細い足、広島弁、顔にニキビ痕、厚い唇といった特徴がありました。

1975年4月18日、東京の銀座にある韓国産業経済研究所の入口に手製の時限信管付爆弾を設置し、翌日に爆発させる事件を起こします。この事件は、ビルの一部を損壊させる結果となりました。爆弾は、東アジア反日武装戦線が出版した「腹腹時計」に掲載された設計をもとに、同グループの薬剤師資格を持つ大道寺あや子によって製造されました。

1975年5月19日、主要メンバー7人が逮捕されたことを受けて桐島氏は逃亡。その後、警察は桐島氏の存在を把握し、彼に対して爆発物取締罰則違反で指名手配を行います。1987年、警視庁は700万枚に及ぶ手配チラシを全国に配布し、桐島氏の逮捕に向けた努力を強化しました。

桐島聡の逮捕とその後の展開

桐島氏は、東アジア反日武装戦線のメンバーの中で唯一、逮捕されたことがなく、その行方は半世紀近くも謎に包まれていました。しかし、いくつかの事件においては時効が成立しており、彼の犯罪に対する法的な責任は限定的なものとなっています。

2024年1月25日、警視庁に桐島氏と思われる男性が入院している情報が提供され、警視庁公安部は身元確認に乗り出しました。翌日、神奈川県内の病院で偽名を使って入院していた男性が身柄を確保されました。この男性は桐島氏を名乗っており、末期がんを患っていることが判明しました。警察は、50年近くにわたる逃亡のため、身元特定作業に困難を極めているとしています。

桐島聡の懸賞金は?

最大で桐島聡の懸賞金は最大で100万円だそうです。